大伴家持の【新しき年の始めの初春の】の和歌はどういう意味?大伴家持とはどんな人?

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新元号の出所で万葉集が話題となっていますが、万葉集の主の編者と言われている大伴家持さん。家持さんは、万葉集最後の歌を詠んでいますが、どういう意味があるのか気になるところです。

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万葉集最後の歌と解説

その歌とは、

 

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

 

この歌は、大伴家持さんが万葉集に載せた最後の自分の歌です。
4516番目の歌で、万葉集もこの歌で終わっています。

読みかたは、

あらたしき としのはじめの はつはるの
けふふるゆきの  いやしけよごと

 

わかりにくいところを解説します。

※「新しき」の読み方は、「あたらしき」ではないです。
当時は、「あらたしき」と読んでいたと考えられています。
いつの時代からか途中であたらしきになったようです。

現在でも「新たなスタートをきる」の場合は、「あらたな」と読む
なごりがあります。

 

※今日降る雪の、の「の」は「~のように」という比喩を表します。

 

※「いやしけ」が現代のことばにないのでわからないですが、
いやは、接頭語で、「いよいよ、ますます」
しけは、「重なる」
いやしけで、「ますます重なる」の意味です。

 

※吉事は読み方が複数あって「きちじ」「きつじ」「よごと」などです。
「めでたいこと、よいこと」の意味です。

※当時新春の雪は良いことのお知らせ、元旦の雪は豊年の前兆とされていました。

 

つまり、まとめると次のような意味になります。

 

◆新春の元旦を祝うかのように降る今日の雪のように、
良いことが重なりますように

 

これだけだと、家持さんが、どうしてこういう歌を詠んだのか?
ということがよくわかりませんね。

そのところは、家持さんがどんな人で、どんな仕事をしていて、
その歌を詠んだときは、どんな環境だったかを知る必要があります。

 

家持さんてどんな人?

家持さんは718年に、大伴氏という、
天皇に使える立派な貴族の家に生まれています。

 

子供のころから和歌を学んで、
大人になってから色々な人が詠んだ多くの和歌がのっている
万葉集をまとめたと考えられています。

家持さんは歌人だけではなく、政治家として活躍しています。
大人になると今の富山県高岡市で「越中国守」になりました。
国守(こくしゅ)というのは、今の県知事のような地位です。

 

国守の仕事はたいへん多忙でした。

・お寺や神社のお祭りの企画

・田んぼや畑の仕事がうまくいっているかどうかの調査

・兵士の徴兵

・税金の徴収

・今の警察署長・消防署長・裁判官のような仕事もやっていました。

ところが家持さんは、時の権力者の藤原専制政治の前に不遇の時を過ごします。

758年6月、藤原氏に家持さんはは左遷され
因幡(今の鳥取県東部)の国守となります。

この万葉集最後の和歌は、因幡国守に左遷された翌年の正月に詠まれています。
当時家持さんは42歳。 西暦759年です。

 

最後に詠まれた和歌の意味

新しき年の始めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事

家持さんによって詠まれた、万葉集最後の和歌の意味は、
当時の家持さんのおかれていた環境からすると
次のように考えらます。

左遷された因幡の国守は、家持さんにとってあまりうれしくない土地だったので、
これからいいことがたくさん重なって、もっと大国の国主になりたい!

そういう気持ちをこめて、
目の前にある初春の大雪を題材として、いいことがたくさんあってほしいなあ、
という気持ちを詠ったと考えられます。

また、

万葉集編纂者として、この歌を最後にもってくることで、
自分が編集した和歌集を読んだ人達にも、いいことがたくさんあってほしい

自分が編集した万葉集が後々まで歌い継がれてほしい!

という締めの和歌にもなっているのでは、と思います。

 

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